かつて咬ませ犬で来日したことのあるタイ人は、プロ・デビューから44戦目PFPキングのローマン・ゴンサレス(ニカラグア)をリングに沈めタイの英雄となった。今では、米で最も権威あるリング誌のパウンド・フォー・パウンド(PFP)に名を連ね、米国で成功を収めた1人のボクサーとして認められている。シーサケット・ソー・ルンビサイは、いったいどんな人生を歩んできたのだろうか。

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 プロ・ボクシング界ではアンダードッグ(咬ませ犬)が用意されることは珍しくない。フィリピンの英雄マニー・パッキャオもアンダードッグからアメリカン・ドリームを掴んだボクサーの1人である。TV局、プロモーターの様々な思惑が交錯するボクシング界。たとえ、アンダードッグであっても牙をむきアップセットを起こし本物になってしまえばいい。

 2001年6月、IBF世界Sバンタム級王者リーロ・レジャバ(南アフリカ)は、米ラスベガスのMGMグランドガーデン・アリーナで開催されるオスカー・デラ・ホーヤ(米)のアンダーカードで、エンリケ・サンチェスとの試合が決まっていたが、直前でサンチェスが怪我で出場を辞退。新しいダンス・パートナーを探すことを余儀なくされた。

 試合まで2週間を切り、強豪レジャバということもあり挑戦者探しは難航した。ようやく決まった挑戦者こそ、後にアメリカン・ドリームを掴むパッキャオだった。貧困から抜け出しファミリー、母国フィリピンを救う重責を担うパッキャオは躊躇なく契約にサインした。

 アンダーカードとはいえ、米プレミア・ケーブルTV局HBO、PPV(ペイ・パー・ビュー)という最高の舞台でレジャバを叩きのめしアップセットを起こした。ここからサクセス・ストーリーがはじまったのである。

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シーサケットは極貧育ちだった

 プロ・ボクシングは底辺であっても、結果を出し続ければアメリカン・ドリームが掴める。それを体現した1人がフィリピンの英雄マニー・パッキャオであることに異論を唱える人はいないだろう。シーサケットもパッキャオほどではないにしろ米国で成功を収めたアジア人ボクサーだといっても過言ではない。

 「幼少期の生活は非常に厳しいものでした。十分なお金はありませんでした。家族を養うためムエタイで生計をたてました」

 13歳のシーサケット、タイのバンコク郊外の農村で暮らしていた。その時、結婚を約束していた婚約者とともにタイの首都バンコクへ向かった。バンコク行きを決意したのは他でもない、貧困から抜け出すためである。

「十分なお金はなかった。食料を調達するためゴミを漁るしかなかった。それが唯一自分たちが生き残る道だった」

 夢と希望をもちバンコクへ到着したもの、実際は一文無し。もうあとには引き返せない。しかし、現実は厳しくバンコクへいっても暮らしが豊かになることはなく生活は困窮。ムエタイで稼ぐことはできず、仕事をさがすために60マイルという途方もない距離を自力で歩き警備員として働いた。

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シーサケットは咬ませ犬として来日

 それでも生きるためには、デパートで生ゴミを漁り食べるしかない。インスタント・カップラーメンはスープだけ飲み、麺はガール・フレンドに全て与えた。そんな日が続いたある日、シーサケットは知り合いから「日本に行かないか」と打診を受ける。これが後のシーサケットの人生を大きく決める決断となった。

 与えられた情報はムエタイと似ているというだけで直前まで何の情報もなければ、ろくな準備期間もない。しかし実際、首都バンコクへ移住したが生活は苦しくまとまった金が必要。シーサケットに選択の余地はなかった。

 その相手は、後に3階級制覇を成し遂げる八重樫東だった。高校のインターハイで優勝、国体のライトフライ級優勝、70戦のアマチュア戦績を誇る輝かしいキャリアの持ち主である。

 この時、八重樫東はプロ12戦目、プロ7戦目で当時、世界最短の王座獲得記録をかけてWBCミニマム級王座をもつイーグル京和(タイ)に挑むも判定負け、再起戦に勝利するも2008年7月辻昌建に敗れキャリアを再建途中だった。

 一方、シーサケットは八重樫とは対照的なキャリアを歩んできた。もちろん、ボクシングの経験はないし、 日本行きを決意したのは報酬を得られるから全ては生きるためだった。当時の八重樫東の存在など知るよしもなかっただろう。シーサケットの役割はアンダードッグだったことは言うまでもない。

 結果は3ラウンドKO負け、デビュー戦は黒星におわりプロ・ボクシングのあつい洗礼をうけた。2009年再び日本のリングへあがり屋富祖と対戦するも3回KO負け。ムエタイで花を咲かせず、プロ・ボクシングでは2連敗、シーサケットは決断を迫られていた。

 「彼女と将来について話し合いました。2つしか道はない。1つはプロ・ボクサーになり生計を立てること。もう1つは、再びゴミを漁り生きる生活か」

 シーサケットは、かすかな希望がもてるプロ・ボクサーの道を歩んで行くことに決めた。母国タイで迎えたプロ3戦目の相手はデビュー戦、結果はドローに終わった。実は、この戦いの前にシーサケットはこの戦いに負けた場合、ボクシングを辞めるとコミットしていた。

 3戦目をドローでおわったシーサケットの目標は、地域タイトルを獲得しタイ国内でTVデビューすることだった。人生はどうなるかわからない。実際、どれだけのファンがシーサケットが後に米国で軽量級界をけん引するゴンサレスを粉砕し、リング誌のパウンド・フォー・パウンド(PFP)ランキングの議論の余地があるファイターへ成長すると思っただろうか。

 「シーサケットの強みは、献身的な姿勢とハングリーさだと思います。それが、彼の成功を導いた。我々は常に献身的に戦うファイターにその機会を与えることに注力してきました。それが、シーサケットと契約した理由です」

シーサケットが佐藤洋太に挑戦

 その後、シーサケットは2011年、WBCアジア地域タイトルを獲得し通算4度の防衛に成功。ナコンルアン・ボクシング・プロモーションズと契約ついに、世界タイトルマッチのチャンスが到来する。2013年5月3日、WBC王座を持つ佐藤洋太(協栄)に挑むことが決定したのである。

 佐藤は、2012年3月WBC王者スリヤン(タイ)と対戦し王座奪取に成功。佐藤に負けはしたがスリヤン陣営は興行権を握り、佐藤の防衛戦の相手としてシーサケットを送り込んだ。

 スリヤンをプロモートするナコンルアン・ボクシング・プロモーションズは、佐藤をプロモートする協栄ジムとの契約条件にオプションがあった。これは、前王者陣営が興行権をもつことができ、開催地や対戦相手を決めることができる権利である。

 佐藤は、WBC8位にランクするシーサケットと比較すると対戦相手の水準は高くキャリアは分厚い。大方は、佐藤が有利と見ていただろう。しかし、懸念材料がなかったわけではない。いまだ日本人が敵地タイで世界タイトルマッチを成功した例がないだけでなく会場の進行、環境は日本のリングとは全く異なる。長時間に及ぶセレモニー、高温多湿な環境で気温は40度にも達する。

 シーサケットは、18勝のうち17KO勝ちを収めているが、その対戦相手の殆どがワールド・クラスではなく母国タイでの無名選手が相手、驚異的なKO率を誇るが戦績から分析することは、はっきりいって困難だった。こうした背景もあり、佐藤陣営が挑戦者を甘く見ていた可能性はある。

 実際、予想では卓越した技術をもつ佐藤が、シーサケットの強打を空転させアウト・ボックスする見方が多かったが、予想に反しシーサケットが8回、TKO勝ちを収めた。咬ませ犬として日本のリングに登場しはや4年、極貧生活を送っていたシーサケットは悲願の世界王座獲得に成功したのである。

 シリーズ4に続く。

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