「ボクシングをすることができないと言われたよ。もう、2度とあのリングでは戦えないのか。受け入れることができなかった。でも、俺はそれが間違いだったことを証明したよ」

 ”Miracle Man”の異名を持つ男ダニエル・ジェイコブス、その人生は一言では到底語ることはできない。なぜ、”Miracle Man”と呼ばれるのか。プロ入りし世界タイトル獲得はもちろん、ブルックリンのスターになることを約束された男は突如ボクシング界から姿を消すことになる。

 プロ・ボクシングの世界はたとえアマチュアで好成績を残し、オリンピックでメダルを獲得し将来スター選手と謳われても、その後のキャリアは何の保証もない。病気や怪我、思わぬTKO負けで歯車が狂いリタイアを余儀なくされるケースは決して珍しくない。ジェイコブスのようなケースは異例、瀕死の状態から奇跡的な回復を遂げる文字通り”Miracle Man”だ。

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 端正なルックス、規律も正しい。豊富なアマチュア経験、試合でのパフォーマンス、スターになる素質を全て備えたジェイコブスは関係者からの期待値が高かったことは言うまでもない。それまで、ジェイコブスのキャリアは全てが順調だった。

 ジュニア時代から注目されていたジェイコブスは、米国オリンピック代表権を逃すもゴールデングローブ優勝、全米選手権ミドル級優勝、アマチュア137戦7敗という輝かしい成績を残しプロへ転向。2007年米ラスベガスにあるMGMグランドガーデン・アリーナで、プロデビュー戦を行い1回29秒TKO勝ちを収めた。

 2009年ESPN(米スポーツ専門チャンネル)のプロスペクト・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀若手有望選手)を受賞。将来スター候補として注目を浴びたジェイコブスは、米本土で強い影響力をもつアル・ヘイモン氏と契約し、有力プロモーターのゴールデンボーイ・プロモーションズ(GBP)と契約を締結。

 2012年ブルックリンに完成するバークレイズ・センターで行われるボクシング・イベントこけら落としのメーンイベンターを務めることが内定。ジェイコブスの未来は約束されていたといっても過言ではない。

ジェイコブスのプロ・キャリアは一転する

 「信じられなかったよ。それは僕の夢だったしね」

 「当時、私の築いていたキャリアは素晴らしいものだった。最高潮だったし、私は誰もが予期できなかったことを出来たと思う」

 2010年7月米ラスベガスで、ドミトリー・ピログ(ロシア)と空位のWBO世界ミドル級王座決定戦を争うことが決まったジェイコブスはこう語っていた。

 初の世界タイトルマッチがラスベガスで決まり、米本土の有力プロモーター、オスカー・デラ・ホーヤ氏が率いるゴールデンボーイ・プロモーションズ(GBP)と契約を締結。同じ時期、GBPはニューヨーク、ブルックリンで建設を進める新たなアリーナ、バークレイズ・センターの運営を取り仕切るブレッド・ヨーマーク氏と業務提携を発表した。

 これまで、ボクシングの本拠地は米ニューヨークで4度の移転を繰りかえしたマディソンスクウェア・ガーデン・アリーナ(MSG)だったが、2012年ブルックリンにバークレイズ・センターが完成し、米東海岸の新たなアリーナとして強い存在感を示している。

 今でこそ、ボクシングの聖地はラスベガスと呼ばれるが米本土で”メッカ”と呼ばれるのはMSGアリーナだけである。ビッグマッチがニューヨークからラスベガスへ移行する前、アリ対フレジャー、ホリフィールド対ルイス、ホプキンス対トリニダードなど歴史的にも重要な一戦が開催されてきた。

 近年では、ニューヨークがゆかりの地であるミゲール・コット(プエルトリコ)のホーム・グラウンドとして知られ、2015年ウラディミール・クリチコ対ブライアント・ジェニングス、2017年3月ジェイコブスが統一王者ゴロフキンとの統一戦で初登場を果たしている。

 ブルックリン出身のトップランク、ボブ・アラム氏は、バークレイズ・センターが米ニューヨークの新たな拠点となった今でも、大規模なイベントはバークレイズ・センターではなくMSGアリーナを好みイベントを開催してきている。

 1960年代、ボクシングが最盛期を迎えていた頃、MSGアリーナも毎週のようにボクシング・イベントを開催してきた。しかし、その後ボクシング人気が衰退した影響もありMSGアリーナでのイベントはめっきり減ってしまった。

 ただ、MSGアリーナで開催するにあたりいくつか課題もあった。まず、多目的アリーナとして格闘技、スポーツ、コンサートと数多くのイベントを開催しているが、もはや膨大な需要に応えきれない。さらにMSGアリーナは施設を利用するには膨大なコストがかかるという問題もあり、コンスタントにイベントを開催をすることは難しいという課題があった。

 ボクシングが衰退したとはいえ、ボクシングの成長、発展にはコンスタントにイベントを開催することが最も重要だ。こうした事情もあり、GBPはバークレイズ・センターと業務提携したのだろう。1980年代以降、ビッグマッチは税金で優遇され大規模イベントであれば、MGMグランドガーデン・アリーナ、T-Mobileといったベガスの主要アリーナを運営するMGMリゾーツ社が誘致に動き、経済効果も大きいカジノタウン、ネバダ州ラスベガスへ移行していった。

 ジェイコブスは米ニューヨーク、ブルックリン出身。ブルックリンの中でもアフリカ系アメリカ人が多く居住するブラウンズビル出身者である。こけら落としに、スター候補であるジェイコブスを起用すれば、バークレイズ・センターがあるブルックリン出身なだけに集客は追い風となり理にかなっている。

 ところが、この後、ジェイコブスのキャリアは急転。ピログ戦を前にジェイコブスの育ての祖母であるコーデリア・ジェイコブスが癌のため他界してしまう。 ジェイコブスは、世界タイトルマッチ1週間を前にドレッシング・ルームで泣き崩れたという。迎えた初の世界タイトルマッチ、殆ど無名のスラッガー、ドミトリー・ピログの右の強打を浴びキャンパスに沈み5回TKO負け。プロ初黒星を喫してしまった。

 「肉体的には戦いたかったが、心はそこになかった。試合の翌日には祖母の葬儀に参列したんだ」

 ジェイコブスはピログに勝利すれば、元統一ヘビー級王者マイク・タイソン(米)やザブ・ジュダー(米)に続き、ブルックリン、ブラウンズビルからニュー・スターが誕生していたはずである。祖母をガンでなくし初の世界タイトルマッチでTKO負け二重苦がジェイコブスが襲った。しかし、この後も容赦なく悲劇がジェイコブスを襲う。

ガンとの壮絶な戦いがはじまる

 ジェイコブスの病は深刻な状況だった。

 「人生はジェットコースターに乗るようなものなんだ。ずっと、駆け上がってきたけど一気にどん底まで落とされたんだ。これまで、順調に駆け上がってきた文字通り最高のキャリアだったよ。

 でも、初の世界挑戦に失敗して、祖母も失い挙げ句の果て自分がガンになってしまった。一連の出来事は自分の人生の中で特別なものだった。自分をより強くしてくれたと思っている」

 当時をジェイコブスはこう振り返っている。

 2011年はじめ、ジェイコブスは足に異常を感じた。数週間が経過すると松葉杖なしでは生活できない状態となり、ついには足が麻痺し車椅子が手放せないほど症状が悪化。2011年5月ジェイコブスは、脊椎の骨肉腫と診断されたのである。

 ハンドボール・サイズほどの腫瘍が脊椎を覆い、それが原因で神経を傷つけ足に麻痺を起こさせていた。ジェイコブスの病状は深刻な状況で、医師が発見しなければ死亡していた可能性もあったという。

「ジェイコブスが死にかけている」

 この頃、ジェイコブスがガンを患い、深刻な状態である噂が一斉に広まった。一時スター確実と言われた男はメイン・ストリームから外れボクシング界から忽然と姿を消すことになる。もはや復帰は絶望的だった。

  「彼は歩行することさえできなかった」。
 NYSC(ニューヨーク・アスレチック・コミッション)で働くドロシー・ペリーはは当時を振り返った。ペリー氏は、ジェイコブスに電話をしたがジェイコブスは電話に応答しなかったという。

 ジェイコブスは、自分の携帯を車に置き忘れていた。しかし、自力で電話を取りに行くことさえもできない状態だった。実はジェイコブスはこの時、次の試合に向けフレディ・ローチ氏がいる米カリフォルニア州ロサンゼルスに向かうはずだった。

 ドロシー・ペリーが、ジェイコブスのアパートを訪問。ペリー氏は辛い光景を目の辺りにする。そこには、スターと言われたジェイコブスの姿はなく、ドアまで歩くことさできず壁にしがみついていたという。

 ジェイコブスは、救急車でブルックリンにある病院の緊急治療室に搬送。MRI検査で腫瘍があることが明らかになった。その腫瘍は、ジェイコブスの脊椎神経を傷つけ足に麻痺を起こしていた。その後、生検検査で腫瘍がガンであり、進行中であることが分かり緊急手術が必要だった。

「俺がガン?」

 初の世界タイトルマッチは大方の予想に反しTKO負け。ジェイコブスは足踏みをすることになるが、マイク・タイソン、マニー・パッキャオらレジェンドを育てあげ将来殿堂入りが確実視されているフレディ・ローチ氏を新たなトレーナーとして迎え、まさに再出発を誓った矢先の出来事であった。

 ジェイコブスは、医師からはボクシングをすることはできないと事実上の引退勧告を受けた。脊椎のガン、もし失敗すれば下半身不随になるリスクを伴い、再発する可能性だってある。たとえ、幸い一命はとりとめたとしても、元どおり歩けるかどうか。こんな、不安がジェイコブスを襲ったにちがいない。

 ただ、手術をするにしてもジェイコブスは医療保険に加入してなかった。ドロシア・ペリー氏によれば手術の一部をアル・ヘイモン氏が工面したという。

 実は、最先端の医療を受けられる米国の公的健康保険制度は日本とは大きく異なる。米国は日本のように国民皆保険制度はなく公的医療保険制度は受給資格者しか加入することはできない。高額の医療費は長年の課題となっている。

 65歳以上の高齢者が対象のメディケア、低所得者を対象としたメディケイドの2つがある。対象外となる人は民間の保険へ加入する必要がでてくる。しかし、保険料は1ヶ月平均300ドルから500ドルと非常に高額で、多くの人が民間企業が所属する団体を通じて提供する団体保険へ加入している。

 実際、治療費が高額なことで満足のゆく検査ができず治療を断念するケース、手術を延期したことで病状が悪化するケースは珍しくない。米国は最先端の医療技術で世界をけん引するが、保険指標では先進国の中でも最低レベルだ。

 実際には国民の6人に1人が医療保険に入っていないのが実情で、2016年の保険未加入者数は全米で2,810万人、国民の8.8%が保険未加入となっている。ジェイコブスは報酬があったにしろ、当時は若く民間の医療保険に加入してなかった可能性は高い。実際、保険加入が義務ではない米国で若年層は、医療費が負担になることから保険に加入したくないという人も少なくない。

ジェイコブスは事実上の引退勧告を受ける

 実際、担当した医師はジェイコブスの病状から、再起は愚か歩くことさえ難しいという見解を示していた。少なくても当分の間はリング復帰どころの話しではなくまずは治療に専念することだった。

 ところが、脅威的なメンタルのを持つジェイコブスはガンと向き合い、現役復帰を強くのぞみ決して諦めることはなかった。驚異的な回復力を見せつけ半年後には、スパーリングをするまでに回復したのである。

 「それを急に失うことになったんだ。ショックだったよ。我々が生きる理由は何だろうか。それは幸せになること。ボクシングは私に幸福を与えてくれる。

 人は何かを失った時、それを受け入れることは難しいし時間がかかる。私もその1人だった。でも再び戻れることを信じてやまなかった。戻れるなら何でもやったよ」

 「ガンは私の人生で最も乗り越えることが困難なものだった。麻痺することは誰もが乗り越えることが難しい問題だと思う。放射線治療、化学療法は挑戦だった。ボクシングは私に幸せをもたらせてくれた。それは私の人生そのものだったからね」

 第一段階として、腫瘍への血液の供給を止めるために、カテーテル手術を実施。その後、ジェイコブスは6時間に及ぶ腫瘍を取り除く手術を受けた。その後、治療は放射線治療へ移行、歩行のリハビリを受けることになる。

 「彼らは2度とボクシングのリングに戻るべきではないと言ったんだ」

 医師は脊椎が正常に回復するまで6ヶ月から1年かかると告げられ、ジェイコブスは事実上の引退勧告を受けた。

ジェイコブスは奇跡の回復を見せる

 ジェイコブスの足の感覚がもどる。

 「手術のあと数ヶ月、右足に感覚を感じることができた。その後、左足の感覚が戻ってきたんだ。理学療法をやめ、コニー・アイランドのジムに向かうことにしたんだ」
 
 「私の願いは1つ、それは再びあのリングに上がることだった。バークレイズ・センターで始めて行われるボクシングのショーにでることを夢見ていたよ。愛しているボクシングにカムバックしたかった」

 一方、その頃、米プレミア・ケーブルTV局のHBO、Showtimeがジェイコブスの復帰について強い関心を示していた。「ダニーがバークレイズ・センターに登場することを願っている。

 彼は逆境を乗り換えなければいけないけど、ダニーが必ず戻ってくると信じている」。当時GBPのCEOだったリチャード・シェイファー氏は、2012年10月バークレイズ・センターでのボクシング・イベントのこけら落としでジェイコブスをカム・バックさせるストーリーを描いてた。
 
 ジェイコブスが言うには、3月の時点でガンはなかったという。一度は、医者から事実上の引退勧告を受けるが、両足の感覚を戻したジェイコブスはこの時期、当時トップ・プロスペクトだったサダム・アリ、シェミュエル・ペイガンらと8ラウンドのスパーリングをこなせるまで回復していた。

 ジェイコブスは、ガンを克服し1年7ヶ月ぶりに地元ブルックリンにあるバークレイズ・センターで行われたボクシングのこけら落としに登場。ジョシュ・ルテランを相手に復帰戦を行い1回1分33秒でTKO勝ちを収めたのである。

 「非常に困難な戦いに挑んだと思う。それは、私が諦めることができなかったそれが戦い続けた理由なんだ。意思は高いし強いメンタルをもっている。常にベストを尽くし絶対に諦めることはないよ」

 その後、悲願の世界タイトルを獲得。ミドル級帝王ゴロフキンとのキャリア最大のビッグマッチを実現するも僅差の判定負け。しかし、評価を落とす内容ではなくミドル級トップの実力者であることを世界に示した試合だった。次戦はすでにセルゲイ・デレイビャンチェンコ(ウクライナ)とIBF世界ミドル級王座決定戦を争うことが決定。人生最大の逆境を乗り越えた男ジェイコブスの第二章がはじまる。

(Via:Daily News)

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