1回KO、どれだけのファンがこの結果を予想していただろうか。圧倒的なパフォーマンスは、ファン、関係者に強いインパクトを与えるには十分すぎる内容だった。

 2018年5月25日、東京・大田区総合体育館でWBA世界バンタム級タイトルマッチが行われ井上尚弥(大橋)が、王者ジェイミー・マクドネル(英)と対戦し1回1分52秒でTKO勝ちを収め、国内最速となるプロ16戦目で3階級制覇を達成した。

 賞金獲得トーナメントWBSS(ワールド・ボクシング・スーパーシリーズ)出場が確実視されている井上のバンタム級初戦は、米国向けにESPN+、英国ではスカイスポーツが中継し世界的にも注目された一戦だった。マクドネルを1回KOで粉砕、改めて”モンスター”の存在感を世界に示したことは間違いない。

 「彼は“モンスター”であることを証明した」。
 「彼はパウンド・フォー・パウンド、トップ4にはいる」。
 「俺は間違っていた。彼は本物だ」。
 海外でもこんな意見が飛び交う。米東部時間、7時15分にESPN+でストリーミング配信された。早朝にもかかわらず、ツイッターでは多くの米メディア記者らがこの一戦に関し一斉にツィート。注目度の高さを物語っている。

 リング誌、USA Todayに寄稿するマイク・コッピンガー氏
 「なんてファイターなんだ。井上をWBSSの舞台でみることが待ちきれないよ」。

マクドネル、井上対策として増量するも

 マクドネルの増量は予想できたが、なんと試合当日の体重は64.3キロ、実に12キロ増量してきた。一方、井上は59.5キロ。超人的とも言える井上のクイックネス、スピード、パワーに対して、バンタム級のマクドネルのスピード、パワーは決して高い数値ではない。大幅な増量は、フィジカル差で優位に戦う陣営の作戦だったことは疑いの余地はない。


 しかし、計量会場に1時間以上遅刻し現れたマクドネルは来日した際とは全くの別人。目に覇気は感じられずコンディショニング不良であることは明白。大幅増量がアドバンテージとなったとは考えにくい。

 急激な体重増量は、消化に大量にエネルギーを消費し内臓に高負荷をかけることになる。無理な減量はコンディショニング不良に陥る可能性は高い。現にマクドネルは前日計量で脱水症状だったことが明らかとなっている。

 「ジャブを肌で感じたところでわかった」。
 井上は試合後にそう語っていた。1ラウンド序盤は様子を見ていたが、試合後に井上が語っていたとおり、マクドネルの力量を測る時間はそれほど必要なかったように見える。30秒が経過、徐々にプレスを強めパワー・パンチを上下に散らし左フックで王者をグラつかせ、ロープに追い込み左ボディでダウンを奪う。

 再度ロープに追い込まれ劣勢だった王者は井上の猛攻に対し、2度右のカウンターを放つが井上は臆することなく王者をマットに再度沈めた。

 「地球上で一番強い男と試合ができた」。
 Sバンタム級へ階級をあげる予定だったが、あえてリスキーな井上の挑戦を受けたマクドネルは試合後にこう語っている。指定された計量時間に遅刻するなど他にも問題があがっているが今は、井上の挑戦を承諾してくれたことに感謝したい。
 
https://twitter.com/boxnationtv/status/999682773257465856
 「マクドネルとスパーした経験はないけど彼の評判はいいよね。ただ、井上は特別なんだ。ストロングだよ」。
 井上のスパーリング・パートナーを務めた英国有力ホープのラザ・ハムザはこう語っていた。階級をあげればパワー・スピードが通用するか不安要素がでるが、井上に関していえばその心配は皆無だったといっていいだろう。

 「井上のパワーは強化されている」。
 井上のスパーリング・パートナーとして知られ、アステカの戦士WBO世界フェザー級王者オスカル・バルデス(メキシコ)へ挑戦した経験をもつフェザー級世界ランカーのジェネシス・セルバニア(フィリピン)は井上の破壊力に太鼓判を押す。

 セルバニアとのスパーリングを見る限り、スピード、スキル、身体能力はセルバニアを凌駕していた。パンチのスピードだけでなくディフェンスからオフェンスへの切り替えもハイスピード、多種多様なディフェンス・ワーク。鍛え抜かれた下半身から繰り出されるしっかりシフトウェイトさせたパワー・パンチはSバンタム級、フェザー級までは通用しそうな雰囲気さえ漂う。井上の唯一の不安材料はタフネスくらいだろう。

 マクドネル対策として英国のラザ・ハムザ、中国人、セルバニアが招聘された。マクドネルに近い体型のラザ・ハムザは身長178cm、階級も2階級上のクラスで仮想マクドネルとしても最適だ。ところが、4ラウンドのスパーを終え、井上をプロモートする大橋会長は「練習にならないね」と苦笑いしたという。井上は2回にボディでハムザからダウンを奪い、4回にもグラつかせた。WBSS唯一の課題はスパーリング・パートナーか。

井上、マクドネル戦はさらに評価をあげた試合

 マクドネル戦は、2014年12月Sフライ級に階級を上げ臨んだWBO世界Sフライ級王座を通算11度防衛したオマール・ナルバエス(アルゼンチン)戦に次ぐセンセーショナルな勝利。世界的にも評価を上げたにちがいない。マクドネルは亀田和毅、リボリオ・ソリスと戦い通算6度防衛に成功している実力者であり、バンタム級テストマッチとしても最適な相手だった。

 英国だけでなく、米国でも一定の知名度のある王者マクドネルに対し、圧倒的なスピードとパワーを見せつけ1ラウンドで粉砕。WBSS出場が確実視されている中でのKO劇はバンタム級での適応に加え大きな存在感を示したといえる。

 井上は、米で最も権威あるメディア・リング誌が選出するPFPランキングで7位。ハイ・パフォーマンスを披露した井上が上位に君臨しても何ら不思議ではない。上位にはゲンナディ・ゴロフキン(カザフスタン)、ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)、テレンス・クロフォード(米)といった世界的に実力が認められているボクサーらが名を連ねる。

 リング誌のランキングはリング誌が独自に評価したランキングでボクシング・ファンの間では選手を評価するうえで1つの指標ともなっている。一方で、メジャー4団体(WBA、WBC、IBF、WBO)の世界ランキングは明確なランキング基準はない。階級を上げた選手が急遽1位にランクされたり、ランク外の選手が急遽15位内に上昇するなど珍しくない。

 ほかにも、商品価値が高い選手が優遇されるケースが多々あり、もはや統括団体のランキングはプロモーターとの癒着は周知の事実で公平とは言い難い。こういった背景がありプロモーターの思惑が反映されていないリング誌の評価は重宝されている。

井上、WBSS参戦を表明

https://twitter.com/WBSuperSeries/status/994533264009375744
 「WBSSに参戦します」。
 井上は、試合後のインタビューでWBSSの参戦を正式に表明した。主宰者のカレ・ザワーランド氏が井上陣営にオファーしたことを明かしており井上がマクドネルに勝った今、契約締結は時間の問題。6月主宰者側が来日し条件を詰めペーパー・ワークを済ますだけだろう。

 Sフライ級で、マッチメークが難航した井上にとって賞金獲得争奪戦WBSSに出場することで得られるメリットは計り知れない。

 WBSSは8名の選手で争われ当然ながらタイトルホルダー達のベルトも懸けられる。対抗王者のWBA世界バンタム級スーパー王者ライアン・バーネット(英)、IBF世界バンタム級王者エマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ)、井上との対戦が望まれるWBO世界バンタム級王者ゾラニ・テテ(南アフリカ)ら王者3名がエントリーすることが正式に決まっている。
 
 井上が正式に参戦が決定すれば4人の王者、その他4名の選手はトップコンテンダーから選出、或いは空位のWBC世界バンタム級王座決定戦の勝者、WBA暫定王者となる公算が高い。

 現段階で前述した3名の王者以外、公式アナウンスはないが、薬物問題で日本のリングから永久追放が科された元WBC世界バンタム級王者ルイス・ネリ(メキシコ)が出場する意向を示している。

 ファンの中ではネリの薬物問題を不安視する声は多い。WBSSではWADA(世界アンチ・ドーピング)機関による薬物検査が標準化されている。すくなくても、山中戦で薬物検査で陽性反応を示し最終的な裁定が「再戦」のような理解できない事態にはならない。仮にネリが出場し薬物陽性反応がでた場合、ネリは米英の舞台にせよコミッションから厳しい罰則から逃れることはできない。

 1つ興味深いのが、WBSSにWBC王者が出場した場合である。WBC(世界ボクシング評議会)がWBSSのトーナメントに絡むことになる。つまり、ネリが出場する場合タイトルマッチとしてWBCの承認が必要になってくる。

 WBCは、山中慎介(帝拳)との再戦で体重超過を犯したネリを無期限の出場停止処分と科しているが、スライマン会長の鶴の一声でサスペンドはいつでも解除できる。山中慎介との再戦は反響が大きかっただけにメキシカンびいきなWBCがどういった決断をするかも見ものである。

叶わなかったSフライ級での王座統一戦


 プロモーターらはやい段階で、軽量級最大のドリームマッチのシナリオを描いていたにちがいない。ローマン・ゴンサレスを獲得したHBO重鎮ピーター・ネルソン氏は、はやくから井上尚弥に対し高い関心を示していた。

 帝拳プロモーションズと関係の深いトム・ローフラー氏は、井上に対し報酬2000万円を用意し軽量級の祭典Superflyへ招聘した。米本土ではじめて防衛戦を迎える井上はシーサケット対ゴンサレスのセミ・ファイナルにセットされることになった。

 井上の対戦相手アントニオ・ニエべス(米)は米ではほとんど無名、顔見せ的な意味合いが強くなってしまった。しかし、ナルバエス戦以降は怪我の影響もあり米国での印象が薄れている。井上にとって重要なのは対戦相手ではなく、本場米国のファンにインパクトある内容を見せることがミッションだったはずである。

 「井上は大好きだけど、彼はローマンの猛攻に耐えることはできないと思うんだ」。

 「井上は若くて、パワフルだし体力もある。彼のスキルは研ぎ澄ませれている。ローマンには手に負えないとおもうんだ。もちろん、ローマンは総合的にみても優れたボクサーであることは確かだよ。ただ、それを凌駕するスキル・セットを井上はもっている」。

 日本だけでなく海外でも井上の関心は高く、海外のボクシング・マニアのあいだでも”ゴンサレス対井上”について熱く議論されていた。軽量級ドリームマッチ実現の期待は、井上がSuperfly参戦が決定しよりいっそう高まっていた。

 ところが、プロモーターの目論見がはずれてしまうことになる。ニエベス戦を終えた井上が見守る中、ローマン・ゴンサレス(ニカラグア)はシーサケットとの因縁の再戦に臨んだが、接近戦でシーサケットにパワー・ショットを浴びせられリングに力なく沈んでしまった。これで、井上との軽量級最大のドリーム・マッチが消滅。井上陣営は、減量苦であるSフライ級から階級をバンタム級にあげるか方針転換を迫られることになる。

 ファンの間では、WBC世界Sフライ級王者シーサケット・ソー・ルンビサイ(タイ)、ファン・フランシスコ・エストラーダ(メキシコ)、IBF世界Sフライ級王者ジェルウィン・アンカハス(フィリピン)戦をのぞむ声も多かった。

 実際にこの3人は現Sフライ級屈指の実力者達である。井上は、WBO世界Sフライ級王座を通算7度防衛しているが、国際的な知名度を誇るビッグネームに勝ち金星をえたのはオマール・ナルバエス(アルゼンチン)のみ。前述した3人のようなネームバリューだけでなく紛れもない実力者達だ。Sフライ級最後で金星を獲得しバンタム級にあげることができればベストである。

 ”ネクスト・パッキャオ”と呼ばれるアンカハスは、パッキャオと同じく貧困育ち。オリンピアンであるマックジョー・アローヨ(プエルトリコ)から王座を奪取。”ネクスト・パッキャオ”とも呼ばれているがそれも大げさではない。フェイントを交え2段階で、鋭い踏み込みから放つパワー・ショットは威力は抜群。インサイドでも負けない強靭なフィジカルの持ち主である。

 かつてPFP最高位に君臨していたローマン・ゴンサレス(ニカラグア)の因縁の再戦に完全決着をつけたハード・ヒッター驚異的なタフネスを誇るシーサケット、クラシック・スタイルなエストラーダ戦も興味深い。WBA・WBOを6度防衛、エルナン・マルケス、ジョバンニ・セグラ、ミラン・メリンド、フライ級の実力者達とのキャリアも豊富。シーサケットに判定負けしたもの、戦術の幅は広くマルケスを思い起こさせるカウンターで幾度となくシーサケットを苦しめている。


 シーサケット、エストラーダ、アンカハスの対戦はボクシング・ファンにとって実現して欲しかった戦いだったことは間違いない。しかし、ロマゴンという最大のライバルを失いアンカハスとの統一戦も実現しなければ、減量苦であるSフライ級に固執する理由はなかったのだろう。

井上、WBSSという次なるステージへ

 WBSSは、Sフライ級でマッチメークが難航していた井上にとってキャリア最大の好機である。Sフライ級で井上が望む統一戦は叶わなかったが、WBSS参戦が決まり勝ち進めばタイトルホルダー達のベルトは井上のものとなる。早ければクォーター・ファイナルで統一戦が実現する可能性も十分ある。

 一般視聴者には、メジャー4団体に王者がいて「誰が一番強いのか」分かり難い。かといって、統一戦はプロモーターの思惑もあり双方のメリットがなければ交渉は難航を極める。アンカハス戦は「逃げられた」と日本のメディアは報じられているが、結果としてそれは事実だが、貧困育ちのアンカハス陣営が報酬を稼いでおきたいといった経済的な理由もおそらくあっただろう。

 であればリスキーな井上戦を選択するよりMPプロモーションズと友好関係にある老舗大手ボクシング・プロモーターのトップランクと契約するオプションが陣営にとって最適だったのかもしれない。

 こういった事情があり統一戦はなかなか実現しにくい。だからこそ、階級の序列が明確になり他団体王者との統一戦が約束されるWBSS参戦のメリットは大きい。まだ、正式に発表されてないがバンタム級の優勝賞金(トーナメント獲得報酬金額)は400万ドル(約4億3836万円)だという。

 井上の日本でのファイトマネーは不明だが、軽量級3試合で4億円を超える報酬は破格。この金額は中量級の本場北米で活躍するWBA世界ウェルター級王者キース・サーマン(米)や、WBC世界ライト級王者マイキー・ガルシア(米)と同等クラスの報酬である。仮に日本でのファイトマネーが5000万円だとしても、3試合で1億5000万円の計算だ。

 井上は、インターナショナルな舞台で開催されるWBSSという新たなステージに移りトーナメント完全制覇バンタム級無双、日本人がかつて到達したことのない未踏の領域に挑む。井上の底知れぬポテンシャルを引き出す相手がこの階級にいるのだろうか。

Sponsor Link