アーロン・プライヤー 60歳で死去

 ボクシング界、中量級のレジェンド、アーロン・プライヤー氏が現地時間9日、60歳で死去した。フランキー夫人は「最愛のアーロンが午前5時57分、家族に囲まれ自宅で亡くなったことを発表することは悲しいです。

 彼は”The Hawk”の愛称で世界で知られていました。私達にとって彼は、最愛の夫であり、父、祖父、兄弟、おじ、友人でした。私達は、追悼と思いやりに感謝します。私達の家族が悲しむ時間を許してください。間もなく追悼式典について発表します。」と声明を発表している。

 アーロン・プライヤー氏は75年、ナショナル・ゴールデン・グローブにライト級に出場し優勝。76年に行われた同大会では、トーマス・ハーンズ(米)に大差の判定勝ちを収め優勝している。76年モントリオール・オリンピックの選考試合で、ハワード・デービスに敗れ補欠で参加している。

Sponsor Link

 プロでは、1982年11月12日米・フロリダ州のオレンジ・ボウルで、当時史上初となる4階級制覇を目論むアレクシス・アルゲリョ(ニカラグア)と戦い14回TKO勝利した。

プライヤー、アルゲリョ、両者の報酬はあわせて300万ドル

 WBA世界スーパーライト級タイトルマッチとして行われたこの試合の両者の報酬は、あわせて300万ドル以上と当時この階級では最も高額。両者にとってこの試合はキャリア最大の試合だった。この試合を記憶してるファンは多いだろう。

 アーロン・プライヤー、アレクシス・アルゲリョの一戦は、エキサイティングで80年代”ボクシング黄金時代”を象徴する戦いであった。

 当時、シュガー・レイ・レナード(米)、トーマス・ハーンズ(米)、ロベルト・デュラン(パナマ)、マーベラス・マービン・ハグラー(米)らの中量級黄金時代で、影に隠れた感があったが、スーパーライト級のスターであったことは事実だろう。

プロモーターの弊害でメガマッチは決裂

 プライヤーは、シュガー・レイ・レナード、ロベルト・デュラン、レイ、マンシーニ(米)らとの対戦交渉があったが、報酬、契約条件、プロモーターの弊害などから合意に至らなかった。レナードとの試合は一時決まるも、レナードが網膜剥離を患った為、試合は中止となっている。

 83年アレクシス・アルゲリョと再戦しKO勝利を収めその後、プライヤーは現役引退を発表した。同年10月、WBA(世界ボクシング協会)からジョニー・バンファスとの対戦を義務付けられてたが、対戦を拒否した為WBA王座を剥奪されている。

現役復帰を明言するも薬物中毒であることが判明、トップファイターから陥落

 現役引退を表明したプライヤーだが84年3月、引退を撤回し復帰を宣言。当時、新たに認可団体と設立されたIBF(国際ボクシング連盟)はスター選手を必要していた。プライヤーは84年6月22日、カナダでニック・フラーノと対戦し15回判定で勝利を収めIBF世界スーパーライト級王座を獲得。しかし、この頃から歯車が狂い出す。

 この頃、薬物中毒に苦しんでいたプライヤーは試合ができなくなったことで、1985年12月にIBFから王座を剥奪された。87年8月8日、薬物依存から抜け出したと宣言し、約30ヶ月ぶりにリングへ復帰し、無名のボビー・ジョー・ヤングと対戦するも7回TKO負けを喫し、事実上トップファイターから陥落した。

 その後、白内障、網膜剥離を患っていたことが判明。網膜剥離の手術を受けるも、ネバタ州、カリフォルニア州、ニューヨーク州のコミッションはボクシング・ライセンスの交付を拒否。NSAC(ネバタ州アスレチック・コミッション)は、プライヤーの左目は失明状態であると診断している。

96年、国際ボクシング殿堂入りを果たす

 90年12月4日の試合を最後に正式に引退を表明。その後も薬物依存に苦しむも、93年に薬物依存を克服し自身の経験をもとに子供達に薬物依存の危険性について語っていた。1996年には国際ボクシング殿堂入りを果たしている。
 
 華やかな印象が強いボクシング界だが、プライヤーは現役で得た報酬の半分をプロモートするドン・キングに搾取されたという。アルゲリョ戦以外、メガマッチが実現できなかったのもプロモーターによる弊害が大きいのだろう。

 プライヤーで忘れてはならない試合は、亀田昭雄戦だろう。プライヤーとの再会を描いた作品「神様のリング」興味があったら是非読んでみて欲しい。

Sponsor Link